
令和元年5月1日。川田智也氏は北京にいた。「日本人が作る中国料理とは何か」を徹底的に追求する川田氏らしい巡り合わせだ。
「偶然なのですが、確かに令和初日ですね(笑)! 今年は重点的に中国に足を運び、古典料理をしっかり見ようと思って。それでゴールデンウィークの滞在を計画したのです」
今回、「令和」というテーマで料理を考える際にまず思い至ったのは、「先人から継承したものを、後世につないでいくことの大切さ」だと話す川田氏。日本で何度も変わってきた元号。そんな脈々と繰り返されてきた節目を迎えることで、今を生きる自分が果たすべき役割が強く意識されるという。
川田氏が作ったのは、干し鮑(あわび)の一品だ。中国料理の高級食材の中でも干し鮑は別格。そしてその一級の産地として、日本の三陸が知られてきた。「中国の料理の歴史の中に日本という1ページがあることを、日本人として意識して継いでいきたい」と川田氏。そんな思いで、この1年間ほど、腰を据えて干し鮑に取り組み、世界の各産地の干し鮑を試した。その結果、やはり三陸産は別次元と実感。
「芯にある、熟成した昆布にも似た深い香り。力強い旨み。凝縮感。どれをとっても超一級」だという。
三陸における干し鮑作りの歴史についても学んだ。
「江戸時代に製法が確立したとされますが、その前から作られていたようです。そして明治の時代に、三陸の海を舞台にした事業家、水上助三郎(みずかみすけさぶろう)が登場します」
水上は鮑を始めとする三陸の海産物の資源管理を唱え、実践した人。後世に豊かな海を伝えるよう、遺言したという。
そんな先人たちの思いを引き継ぐという意味が、川田氏の干し鮑の一皿に込められている。「この日本の豊かさが、令和の時代も、その先も続くように願っています」と力を込める。